-Where do I begin- ~大田区幻想奇譚異見~ SAMPLE
『-Where do I begin- ~大田区幻想奇譚異見~』サンプルを掲載します。表題作「Where do I begin」冒頭の一部を掲載しています。
—————————————————————————
「もともとが、われらの祖、『将』と『賢』の両雄は、彼の土地を拓き、同胞を纏め外敵とよく戦い、そして今がある」
開催宣言は、いつにない緊迫を孕んでいた。
議会の首席『賢』が、沈痛な面持ちで宙を仰いだ。
沈黙。
天には静謐をたたえた巨大な月。
大広場に集まった邑の者たちは、それぞれがその表情に不安や戸惑いを隠さず、それでも見開いた瞳は一点を見つめていた。
一身に注がれる視線を受け止めるように、壇上の賢は一歩踏み出した。
「近づきつつある脅威に際し、我々は今、立ち上がるときである!」
涼やかな葉擦れの音。静寂の大広間。
『斑』と『白胸』は、賢の言葉に瞳を上げた。
同じくして、邑の者たちが囲む遠巻きの影から、賢の前に現れる者たち。
斑と白胸もまた、賢の前に歩みよる。
表情には緊張を宿し。
「『名を宿す者たち』よ!」
老齢にさしかかる賢の姿は、それでも筋骨が引き締まり、月光を背に負いながら威厳を醸し出している。
「未曾有の危機に、これだけの歴戦の戦士が居るという事実に、この賢は頼もしさすら覚えている」
厳しい表情を軽く緩め、
「若者よ、この邑の未来を担う若武者よ」
斑と白胸を見下ろした。
「われらが生きる彼の地を、同胞の住まう豊穣の地を、ともに護ろうぞ」
「はっ!」
上気した返事に眼を細めた賢は、次の瞬間には、
「われらが『将』とともにあらんことを!」
一斉にあがる鬨の声。
上気した瞳を見開いたまま、白胸は、
「声かけられちまった」
頷きながら斑は、
「俺たちだって戦いの場に出るのは初めてではない。あまり気負わないことだ」
「解ってるよ」
と、白胸はひとつ身震いした。
邑の者たちは住処に戻る様子もなく、遠巻きに様子をうかがっている。
「まあ、落ち着かないんだろうな」
独りごちて、白胸は賢が去った後の壇を見やった。
「敵がどれだけのものか…… 図りかねているってのが正直なところか」
「そうだろうな」
四肢を解きほぐすように、斑は伸びをした。
「敵に関して、前例があまりないのだそうだ」
「確かに」
暴徒や賊、新興の邑と称する集団。
今までに対峙した敵とは、確かに違っていた。
「だから、経験を持つ『先代さま』の知恵を借りるわけか」
傍らの白胸は、緊張が倦んだ退屈を持て余すように、欠伸をした。
斑はふと、足許に反射するものに眼をとめた。
こと切れた黄金虫。
何者かに弄ばれたのだろう、体躯は半壊し、薄い羽根が露出していた。
言いようのない感情が、憐憫と気づく束の間。
空気が動いた。
斑と白胸がかぶりを上げるのと同時に、さざ波のように歓声が沸き起こる。
邑の者たちが上げたどよめきの主が、壇上に姿を現した。
みなが、待ち望んでやまない雄姿。
「みなの者、待たせた」
一斉に歓喜の声があがる。
引き締まった筋肉で盛り上がった巨きな体躯、悠然と歩を進める姿。
ゆっくりと微笑いはじめる彼の表情だけで、不安の寒々しさが温かく霧散してゆく。
斑がかつてよく見知った、懐っこい笑顔。
『将』の登壇を、斑はただ見上げた。
将は、壇から身軽にとびおりると、
「私は今まで、先代さまの許に居た」
「先代さまは、何と?」
の問いに、
「たったの一度、彼らとは戦の経験があると仰った」
あたりから漏れる、安堵の溜息。
「――もっとも」
緩やかに微笑いながら、将は、
「そのときは、これだけの群れではなかった、とのことだ」
将は、居並ぶ一同を見渡した。
名を宿す者。
大将軍、蒼黄をはじめとして、白金、黒金、泥束、尾白と歴戦がつづき、新参の斑、白胸は末席でその瞳を光らせていた。
「落胆はまだ早い。先代さまから得たものも大きい」
白胸がひとつ、身震いしたのを将はよく見て、
「そういきりたつな。行き急いで猛進したところで、自らの命を縮めるだけだ」
からかうように笑った。
緊迫したなかで、ほぐれてゆく緊張感。
「諸君たちは、仮にも厳しい戦のさなかに身を投じてきた英傑だ。この事実は決して変わるものではない」
将の言葉に、一同が顔を向ける。
表情には信頼と親愛、自負と決心が浮かんでいた。
ひと呼吸ののち、賢が問いを発した。
「……物見はいかがか?」
「定刻で交替しながら見張りにあたっております。夜に入ってのち、大きな動きはないとの報告が」
尾白の答えに、賢は頷き、
「視界の利かぬうちは、動かぬであろうな」
「先代さまが仰るとおりだな」
将の呟きに、白金が言葉を継ぐ。
「行動は夜明け、ということですか」
「布陣は、いかがいたす」
蒼黄が、一歩前へ出た。
「思うところがある。少し考えたい」
考え込むように呟いた将は、賢と顔を見合わせた。
賢は頷くと、
「各自、臨戦態勢のまま待機。持ち場にて宜しく防備につとめること」
一同は姿勢を正し、目礼した。
「笑われたよ」
まんざらでもない表情で、白胸は苦笑いする。
「白胸の緊張を看破して、和らげてくれたんだよ、きっと」
斑はゆっくりと返した。
「……でも、今回の顔ぶれは」
感に堪えぬように白胸は、
「戦力のすべてを投入している、といっても過言ない」
主戦力の白金、黒金。
豪傑の老将軍、蒼黄。
「そうだな」
「そんな将軍たちと肩を並べて戦場に立つんだ」
思い切り大きく伸びをした白胸。
「興奮しないはずがない」
ふと、斑は白胸を見た。
清々とした笑顔の白胸は、樹々の合間からのぞく星空を仰いでいた。
「オレたちも、この地を護るんだ」
独りごちて、白胸は斑に向き直った。
「斑は、将と兄弟同然で育ったんだろ?」
突然の問いかけに、斑はひと呼吸。
「そうだ」
「将は、将になる前からやはり強かったのか?」
「……そうだね、強かった」
懐っこい笑顔が、斑の脳裏をよぎる。
「強かったし、優しかった」
斑の様子を窺っていた白胸は、再び宙を見上げる。
「そうか」
「……義兄さまが将を継いだとき、自分のことのように嬉しかった」
星の瞬きを眺め、斑は言葉を紡ぐ。
「……俺たちはこの地を、護るんだ」
斑の呟きにちらりと視線を送った白胸は、再び夜空に眼を戻した。
ふと、背後の大広場から沸く喧騒に、斑は振り向いた。
大広間の喧騒に、息せき切って駆け込んだ斑と白胸。
畏敬の混じるざわめきの渦中、現れた姿。
「おいおい……」
白胸も、戸惑いと一緒に呟いていた。
ゆっくりと歩を進める老境の身。
さきの将、先代だった。
慌てて背を丸め、目を伏せた斑と白胸。
あたりの者もまた同じように、先代に向けて首を垂れる。
壇上の将が、大股で先代に寄ると傍らで敬礼した。
すぐにでも、名を宿す者たちは先代の許に集まってきた。
「よいよい、顔を上げておくれ」
好々爺然と、先代は笑った。
「懐かしい顔もあるのう」
眼を細めた先代に、
「何か火急の用事が?」
「いやいや、違うのだ」
と賢に応じ、先代は頭を掻いた。
「いらぬ騒ぎを起こしたようじゃな、すまぬ」
と、将に目配せをした。
「しかし、先代さま自ら出向かれるとは」
「伝えたいことがあってな」
先代は賢の言葉を継ぎ、
「先ほど、珍客があった」
にこやかな先代の表情に、怪訝な顔の将と賢。
「易、じゃよ」
「――それは!」
言葉を失った賢と、瞳を見開いた将。
「『易纏足』ですか?」
と言葉を発したのは、後ろから現れた蒼黄だった。
「覚えておるか?」
「もうずいぶん前のことのようです。あの頃はまだ」
蒼黄は、柔和な笑顔を将に向け、
「将も幼かった」
「昔を懐かしむほど、おぬしも老いたのかな?」
「それは!」
蒼黄の狼狽に、大笑いで応える先代。
「――旅を生業とし、どの地にも落ち着かず、放浪を続ける異端」
賢の呟きを拾い上げるように、
「学識と見聞に秀で、諸々を渡る知識の宝庫……」
将は先代に向き直り、
「これは僥倖です」
「ついでにこの先でも占ってもらうがよかろう」
「易とは、占術まで扱えるものですか」
賢は感嘆の声を上げた。
「易には、こちらに回ってもらうようにお願いした。もう来る頃――」
先代の言葉が終わらぬうちに。
大広場に侵入ってくる異形の影を、みなが認めた。
……(続く)