【大田区のハナシ #2】 「土地のハナシ」

大田区は、大森と蒲田から一文字づつとって名付けられたのは有名な話です。
大森区と蒲田区の併合に伴い、大森の「大」と蒲田の「田」を合わせて「大田」としたのが昭和22年だそうです。

この地は、江戸城を築城した太田道灌の領地だった因縁から、「太田」を連想させる地名に寄せたってハナシもあるけれど、たぶん違うでしょう。

このあたりの土地は、明治後期から昭和初期にかけて、避暑地や流行発信の地として発展していきます。
もともと東海道があったとはいえ、開発の後押しをしたのが近代の交通インフラでした。
さらに拍車をかけたのが「関東大震災」だったらしいのは。ちょっと皮肉めいてます。

【大森】
新橋-横浜間の鉄道が開通したあと、海外の鉄道技師たちが大森地区に居を構えていたこと、彼らの乗降車などでついには駅舎が完成。計画になかった駅がけっこう勝手な都合で出来上がります。
大森は、現在の鎌倉のような位置づけとして、遊園地、ホテル、海水浴場や別荘が立ち並ぶ避暑地へと開発が進みます。
また文豪、絵画、彫刻などの芸術家たちのムーブメント「文士村」により、文化サロン的役割も果たしました。
谷崎潤一郎「痴人の愛」の舞台がまさに大森です。

【蒲田】
「梅屋敷」や「蒲田菖蒲園」、少し足を延ばして「穴守稲荷」への参詣や森ケ崎の黒湯温泉(明治にはすでに温泉が湧いていた!)などの行楽地としてにぎわいを見せたこの土地は、松竹の蒲田撮影所の開設で転換を迎えます。
娯楽を担う、映画関係者が集まる華やかな場所へと変貌し、また六郷橋から蒲田を経て大森を終点とした京浜電気鉄道(京急電鉄)も開通し、交通インフラの整備による人口の流入から一大産業、工業地区へと変貌していきます。


紹介

ーー東京都大田区。 大田区で育ち、大田区に魅入られた者が、文筆活動をつうじて大田区の魅力を勝手にお伝えいたします。