【大田区のハナシ #4】「土地のハナシ2」

大田区とは、大森と蒲田から一文字とって名付けられた地名です。
しかし大田区は、大森地区と蒲田地区のほかに、もうひとつの地区があります。
田園調布・洗足地区です。

実はこちらの田園調布・洗足地区、あまり詳しくもなく、長らく興味の的から外れていました。
あまりにも世田谷区に隣接しすぎている、土地のカラーがどうも大田区らしくない… という漠然とした理由もありますが、単純に「個人的に馴染みが薄い」の一言に尽きるかと思います。
ただ、蒲田・大森の近代の成り立ちを調べてみて、これは田園調布も調べないといけないと思い立ちました。
蒲田、大森、田園調布と、成り立ちを知ることで土地の特色に納得がいくのです。

【田園調布】
産業革命後、19世紀のイギリスで起きた「理想土地」の建造が端を発します。
近代都市計画の祖ハワードは、都市労働者の生活・居住環境の向上を目指した「田園都市論」を提唱、ロンドン郊外に田園都市の建設を進めます。

この「田園都市論」に着目し、日本での田園都市を実現しようとした人物が渋沢栄一(!)。
「田園都市株式会社」を設立したのは大正7年のこと。実際、運営したのは渋沢栄一の息子、秀雄ということらしいです。

「田園都市株式会社」は洗足・多摩川台・大岡山の土地を買収し、大正11年、大正12年と「洗足池田園都市」と「多摩川台住宅地」を順次分譲。
同時期に「田園都市株式会社」の鉄道部門を独立、「目黒蒲田電鉄」の誕生となります。
のちに母体だった「田園都市株式会社」も目黒蒲田電鉄の下で再編成されるにいたります。
これが「東急電鉄」の前身です。
———————————————

住みよい理想郷として開発が始まった田園調布。(東急電鉄発祥)
国鉄のインフラから避暑地へと変貌した大森。(国鉄施線)
穴守稲荷参詣から、映画撮影所の開所を契機に華やかな街へ姿を変えた蒲田。(京浜急行大師線からの路線拡大)

ひとびとの生活を豊かにした一因の交通インフラが、この3地区の土地柄に影響を与えていると考えたら、歴史の妙にうならざるを得ません。

紹介

ーー東京都大田区。 大田区で育ち、大田区に魅入られた者が、文筆活動をつうじて大田区の魅力を勝手にお伝えいたします。