【大田区のハナシ #6】「道路のハナシ」

大田区を渡る2つの国道があるのですが、1つは「国道1号線」、少し離れて並走するのが「国道15号線」です。
この国道は別称があり「第一京浜」、「第二京浜」と呼ばれています。

不思議なのは、国道1号線は「第二京浜」、国道15号線が「第一京浜」なのです。

さらには略称もあるのですが。
「イチコク」、「ニコク」の略称はそれぞれ、国道15号線、国道1号線に割り振られます。
「15号線」なのに「イチコク」?
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【第一京浜】
日本橋から横浜港を繋ぐ旧東海道。
明治18年の「国道指定」により、「1號國道」に指定。通称「京濱國道」と呼ばれます。
大正7年から始まった京浜国道改築の工事は、昭和5年まで続きました。

多大な年月と工費をつぎ込むも、当初計画されていた「鉄道交差は立体交差に」や「電柱の排除」は達成されず、鈴ヶ森付近(品川)および六郷橋付近の立体交差化にとどまり、電柱も排されることがありませんでした。

そののち数年でまた道路計画が浮上、結果的に新バイパスとして「新京濱國道」の建設に至ることになります。
これが第二京浜の前身です。

【第二京浜】
第一京浜での事故・交通渋滞の緩和を目指したバイパスを目的として、昭和9年に着工、国道36号線に指定されました。
通称「新京濱國道」。五反田から神奈川(横浜手前)を結ぶ国道です。

第一京浜でのずさんな計画の二の轍を踏まず、余裕のある道路幅(高速車線・緩速車線・歩道の区画整理)と、電柱を排し電線が道路を跨ぐことがないよう、また、高速走行を考慮して直線区間を多くとった設計を施し、結果、当時の世界水準からみても高度な道路が施工されることになりました。

太平洋戦争による建設中断を経て、昭和24年に、都内と神奈川の双方を結ぶ多摩川大橋が開通したことで、道路の運用が実質的に開始される形になりました。
そののち歩道などの整備が逐一進められ、昭和33年で工事は完了します。
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昭和27年、新道路法に基づく路線指定で、東京都中央区から大阪府大阪市北区間までが「一級国道1号」として指定されました。
この際、東京~横浜間では、第二京浜国道である国道36号が国道1号となり、第一京浜国道である国道1号が国道15号と割り振られました。

現在の「国道1号線」は、かつての「1號國道」に付随する形で施工されたから「ニコク」、二番目の京浜国道だから「第二京浜」。
対する「国道15号線」は、もともと「1號國道」に指定されていたから「イチコク」、初めての京浜国道だから「第一京浜」。

どちらも新道路法で国道の扱いは変わったのだけれど、昔の名残が強く残って今に至る…… ってことでしょうか。
地名などでは、案外、こういうことが起こっているのかもしれないですね。

紹介

ーー東京都大田区。 大田区で育ち、大田区に魅入られた者が、文筆活動をつうじて大田区の魅力を勝手にお伝えいたします。