【大田区のハナシ #12】「揚げパンのハナシ」
1952年に、大田区立嶺町小学校に勤務していた調理師の篠原常吉が風邪で休んだ児童に栄養をつけてもらうため、パンを持っていかせる際に保存がきき、かつ作ってから時間が経過して硬くなったパンをおいしく食べてもらおうと、油で揚げ砂糖をまぶすことを考案したものが始まりだとされている。
ウィキペディア フリー百科事典より
これ知らなかったんです。
大田区スキ! とか言ってるのに。
今度は大田区のwebサイトから。
大田区から日本各地へ! 「あげパン」誕生
昭和27年頃、嶺町小学校の調理師によって考案されました。「固くなったパンをおいしく食べる方法はないだろうか」と試しに揚げてみたのが始まりのようで、昭和29年の給食日誌に記録が残っています。長い歴史を経てきた「あげパン」は今でも子どもたちに人気のメニューのひとつです。
大田区ホームページ:学校給食より
なるほど。
ちなみにこの篠原常吉さん、東京都学校給食調理コンクールなどに出場し、大田区チームとして優勝経験も持つお方らしいのですが、この東京都の給食関係者をつうじて、揚げパンを全国に知らしめたとのことです。
全国で発行されていた給食の献立表に揚げパンが認められるのは、昭和35年以降なのだそうです。
先の引用に「昭和29年」とあるので、発祥は大田区と言って間違いなさそうです。
大田区の学校といえば、確かに何らかの発祥は多い気がします。例えばチャイムだったり(キーンコーンカーンコーン)、少年少女合唱団だったり。
とにかく、またひとつ大田区について詳しくなったなあ。ちょっと恥ずかしいな。
チコちゃんに怒られるな……(すでに、あの番組内で取り上げられていました)。